天使の落とした涙の中に #6
日曜日も雨だった。今日は特にすることもないし、シリウスを外に連れて行こうと考えて誘ってみた。
「シリウス、外に散歩に行かないか?って言っても僕の服のポケットだけど」
「そと?」
「そう、家の外。雨が上から落ちてくるよ。おもしろいんじゃない?」
「行ってみたい!」
シリウスはベッドの上で飛び跳ねた。無邪気なシリウスが可愛かった。青い服を着せると昨日と同じようにシリウスは喜んでくるくると回っていた。そして落ち着くとやはりシリウスのために仕立てたようになった。まるで魔法使いだな。僕は単純にそう思った。驚くというより、もうなんだか当たり前のような気がしていた。僕はシリウスをジャケットの胸ポケットに入れて家を出た。降ってくる雨が見えるように透明のビニール傘をさしてやった。外の空気は冷たく、歩いている人はあまり見かけない。僕は周りを気にすることなくシリウスに話しかけることができた。シリウスが来た金曜日の夜、母はシリウスの存在に気がつかなかった。きっとシリウスは僕にしか見えないんだ。なぜだか僕は絶対の自信があった。
「ほら、シリウス。見てごらんよ、こんなにたくさん降ってくるよ。雨の音とかするだろう?」
シリウスはポケットから落ちそうになるくらい体を乗り出して外を眺めていた。
「和也、あれはなに?」
何度この質問を受けただろう?家を出てからずっとだった。見るもの全てがシリウスの気を引いた。けれど僕はまったく嫌にならなかった。聞かれるものひとつひとつ、シリウスにわかるように説明した。
僕はシリウスの質問に答えながら、物を見る目が少し変わったような気がする。シリウスは普段僕たちが全然気にしないようなことまで見ていた。雨ひとつを取ってもたくさんの質問を繰り返した。車のはじく水しぶき、街路樹の枝や電線から落ちてくる雫、水たまりに広がる波紋の大きさや傘の上を流れる雨粒、道端の雑草にたまっては流れる雨粒、雨を逃れて寄り添いながら時折体を震わせて体についた雨水を飛ばしているすずめ、遠くに煙って見える山並み。雨ひとつがシリウスには何もかもが心躍るような出来事だった。
僕はこんな風にゆっくり周りを見ることなんてなかった。いや、昔小さかった頃僕もシリウスと同じようにいろいろなことに目を奪われては母親に尋ねていた気がする。どうして飛行機は空を飛ぶの?どうして車はあんなに速く走れるの?僕も大きくなったら車みたいに速く走れるかな?…どうして、か。何でも面白かった。蟻の行列をたどっていって虫の死骸を見つけて驚いたり、石ころを集めて宝物にしていたりしていた。僕はいつの間にかぼんやりしていた。
「和也!!」
シリウスが叫んだ。僕ははっと我に返った。目の前は横断歩道で、信号は赤だった。車の往来がはげしかった。
「ごめん、シリウス。考え事してたよ。ありがとう」
「うん、あんなに早く走ったら危ないね。あれはなあに?」
「車だよ。みんなあれに乗って遠くまで行ったりするんだ。雨が降ってても濡れないしね」
「ぼく濡れるの、平気。だって和也と一緒にいるの楽しいよ。雨とかいろんなものがたくさん見れるんだもの」
シリウスは満面の笑顔だった。僕は何だか楽しかった。
雨が少し小降りになってきた。公園へ行くと人の姿はなく、僕はシリウスを肩に乗せた。シリウスのテンションはさらに上がっていった。あまりにはしゃぐので僕は滑り台に座らせてやった。僕より高いところにいるのが少し不安だったのか頼りない顔で僕をみつめた。そっと背中を押すとシリウスは滑り出した。木の葉が流れるようにシリウスの体は滑っていった。勢いがついて一番下まで滑ったときにシリウスの体は止まることなく飛び出した。その軌跡を追うように水しぶきが舞った。まるでスローモーションを見ているようだった。水しぶきがアーチを描き、シリウスの小さな体はその上を滑っているようだった。
雲の切れ間から薄日が射し、まるでシリウスが光っているかのように見えた。その時僕ははっとした。陽の光りを浴びているシリウスの背中に小さいけれどはっきりと透明の翼が広がっていた。天使の翼。僕は突然シリウスの不思議が全てわかったような気がした。
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