天使の落とした涙の中に #15
しばらくの間沈黙が続いた。僕も黙ったままシリウスの頬を伝わる涙を見ていた。まるで水晶のような涙。瞳にゆっくりとこみ上げて小さな水晶になり、キラリと光って頬を流れていく。そしてあごの先でもう一度小さく光を放って落ちていく。その間にまた新しい水晶が流れていく。シリウスの涙を見つめているうちに僕の気持ちが洗われて行くような気持ちになった。もちろん僕の犯した罪が消えてなくなる訳ではないけれど素直な気持ちで僕の過去を受け止めることができそうだった。
僕は莉那のことを思った。莉那のところにもシリウスと同じ命がいるんだ。シリウスが僕に自分のことを話したということは莉那の所にいるシリウスもきっと莉那に同じ事を話しているのかもしれない。莉那はどんな気持ちなんだろう。あいつはあの時子供を産みたいと言った。その気持ちを打ち明けたのは恐らく僕にだけだろう。莉那はお腹に宿した命と向き合っていた。短い間だけどその命とともに過ごしていたんだ。その子と別れたときはいったいどんな気持ちだったんだろう。そして今、その命が再び僕たちの前に現れて話した内容は、どんなに辛いものだろう。莉那はきっと自分を責めているだろう。見捨てた命。僕たちは命を守りきらなかったんだ。
僕の心は震えていた。僕たちの子供になるはずだったシリウス。僕はシリウスを見つめた。けれど僕の目も涙にくもっていた。シリウスの顔が見えない。僕は自然とシリウスに手を伸ばしそっと彼の体を両手ですくい上げた。
「ごめん、シリウス…。本当にごめんよ。僕は…」
僕は言葉を続けることができなかった。両手の中のシリウスを感じれば感じるほど僕の涙は止まらなかった。でも言わなければ、僕はきっと一生後悔するだろう。僕は深く息を吸った。
「シリウス、君は望まれるべき命だった。僕たちの不注意で君は誕生することのない命になってしまったんだ。僕たちは当然しなければならない注意を怠ったんだ。特に僕が…。僕たちは責められなければならないのに、君は僕に、そしてきっと莉那にも命を考える時間を与えてくれたんだね。こんな中途半端な僕に。僕は、今まで何も考えてなんかいなかったよ。君といた時間だって、なんだか不思議だけれど、それだけだったんだ。シリウス、僕は君に何もしてあげられなかった。どうしたってつぐなうこと、できないよ。僕の命を君にあげたい。今ここに生きている僕の時間を君に…」
「違うよ、和也。僕は和也に命をもらったんだ。和也でなければ僕は存在しないんだ。和也がいるから、僕はいるんだよ。和也は僕の、お父さんなんだ」
「…お父さん…、か。どうしようもない父親だよ、僕は。人の苦しみをわかろうともしない、自分勝手な男だよ。お父さんなんて呼んでもらえる資格はないよ」
「違うって、僕には和也しかいないんだ。僕のお父さんは和也しかいない。僕がこうしてここにいることができたのは和也がずっと僕を育ててくれたからだよ。僕を見守ってくれた。僕のそばにいてくれたんだ。他に何が必要なの?僕は和也といれて幸せだったよ。幸せだった、心からそう思ってる。それだけじゃだめなのかな…?」
「わからない。僕にはよくわからないんだ。シリウス、君には生まれてきて欲しかった。僕は莉那に産んでもらわなければいけなかったんだ。どうしてあの時、僕はもっとちゃんといろいろ考えなかったんだろう。本当にごめんよ」
僕は、手のひらの中で僕を見つめるシリウスに頭を下げた。いや、違う。本当はシリウスのことまともに見ることができなかったんだ。シリウスの翼が手のひらをくすぐった。シリウスが翼を広げていた。
「聖なる大天使ミカエルの翼は、試練を終えた命に与えられるもの。僕が欲しがっても、この翼は手に入らない。ミカエルが与える使者の羽じゃない。ミカエルと同じ翼は命を与えた者の真の愛情が育てるんだ。つまり和也が僕の背中に翼を与えてくれたんだよ」
シリウスは誇らしげに翼を何度も羽ばたかせた。
「僕が和也に愛された証拠だ」
シリウスの体が宙に浮いた。翼が静かに羽ばたいている。僕はシリウスの姿に見とれた。
「僕を誇りに思ってよ、和也。君の子供はすばらしい翼を持っていたって。それをくれたのは間違いなく和也なんだ」
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